鶴岡まちなかキネマ

昭和初期建築の木造工場を生かした映画館。
木のぬくもりを感じながらくつろげる、まちなかのオアシス空間です。

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松文産業株式会社旧鶴岡工場

写真1昭和7年 (1932年)、鶴岡工場は大泉機業場を譲り受け創設されました。
当初は、織機64台、従業員72名でした。 第二次世界大戦が始まると輸出は止まり、困難な状況となりましたが、幸い、当時の260台の織機をフル稼動させて、陸海軍両方の落下傘用の羽二重を織るこ とで、軍の監督工場に指定されました。

鶴岡の絹織物は、荘内藩の9代藩主、酒井忠徳公が享保年間に京都西陣より技術者を招き小禄藩士の家族の内職として伝授されたのが始まり と伝えられています。

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また、明治維新後の松ヶ岡開墾場(鶴岡市羽黒地区)にはじまる養蚕以降、養蚕から製糸、製織、精練、捺染というすべの工程を行う絹織物 の国内有数の産地となっておりました。そのような中で、松文産業鶴岡工場は、最盛期には従業員が約400名に上る鶴岡の絹織物産業を支えた代表的な事業所 でした。

現在の鶴岡工場は昭和45年(1970年)に旧櫛引町の企業誘致第一号として、櫛引町西工業団地に櫛引工場として新設、織布部門から完 成品出荷まで鶴岡工場より移転を開始し、平成20年12月に櫛引工場を松文産業株式会社鶴岡工場に改称しました。

工場の建物は、戦前の近代産業遺産としても貴重なものです。 6間(約10.8m)という長大な陸梁には、現在ではほとんど入手困難と思われる「一本ものの杉材」が用いられています。 今回の計画では、特徴的な木造の屋根裏の小屋組みは、天井を張らずに露わにしたことで、建物の持つ魅力を十分に引き出すことができました。

旧長山邸

旧長山邸

「松尾芭蕉翁滞留の地 長山重行宅跡」

元禄2年(1689年)6月、松尾芭蕉は、羽黒山を下って、鶴岡城下に住む庄内藩士長山五郎右衛門重行の屋敷に入りました。
「めずらしや山をいで羽の初茄子」はその時の翁の発句で、食膳に供されたこの地方の特産一口なす「民田なす」が目にとまった句と言われています。
長山重行は、呂丸や岸本公羽と共に蕉門の偉人として、鶴岡俳壇に重きをなした人物です。元禄13年に外に屋敷替えになりますが、この界隈は、今も長山小路 と呼ばれています。